乱筆乱文につき、ごめん。

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疲れた身体に助六寿司

午後11時、お腹が空いて近所のスーパーに行きました。

 

閉店が近くなったスーパーっていいですよね。値引きされた総菜とか弁当とかあって。

 

ただ流石に閉店ぎりぎり過ぎたのか、今日はあまり残ってなくて、寿司コーナーなんか4割引きになった助六寿司が3,4パック残っているだけでした。

 

 

美味しいですよね、助六寿司。

 

お稲荷さんと巻き寿司が入っていれば一応何でも助六寿司を名乗れるそうですが、僕は断然お稲荷さんとかんぴょう巻きだけの助六寿司が好きです。

 

スーパーに寿司は数あれど、あれだけ仕切りのバランが輝ける場所は、お稲荷さんとかんぴょう巻きの助六寿司だけじゃないでしょうか。

 

食材だけだと白、黒、茶色とえらく地味な組み合わせですから。

 

でもそんな、寿司自体には華なんかなくとも、味で勝負だてやんでぃという江戸っ子風情を感じるお稲荷さんとかんぴょう巻きの助六寿司が僕は大好きです。

 

ただ、それでもやっぱり人気者はちらし寿司とか握り寿司の盛り合わせなわけで。

 

僕が一番助六寿司を意識して食べていた時期も、その出会いはやっぱり売れ残った助六寿司だったと思います。

 

中学時代、僕はバレー部に所属していました。結局たいして上達できなかったけれど、そのころは真剣で、部活以外にも学外のバレークラブに所属していました。

 

放課後部活で練習して、家に帰って着替えたらまたクラブで練習して。部活とクラブの間で軽く何か食べるにしても、クラブの練習から帰る頃にはいつもへとへとだったし、いつもお腹が空いていました。

 

その日はたまたま家に帰っても家に何もないということで、スーパーで何か買って帰ることになりました。

 

その時は、本当はかつ丼!とか鉄火丼!とかを食べたかったんですが、案の定そんな人気者とうに売り切れていて、残っていたのは助六寿司だけでした。

 

そんなはじめは仕方なくで出会った助六寿司だけれど、食べてみると意外と美味しい。

 

それどころか、疲れた身体には丼ものなどの重いものより、程よい量で優しい甘さの助六寿司のほうがよっぽど適当であるような気さえしました。

 

いいじゃないか、助六寿司。江戸っ子風情があって優しいなんて、助六の名に恥じない立派なものじゃないか、と。

 

それからしばらくクラブの後の助六寿司は恒例になりました。

 

 

そんなことを、今日僕はスーパーの寿司コーナーで思い出したのです。

 

そして僕はそのお稲荷さんとかんぴょう巻きの助六寿司を、夜食用と明日の朝食用、迷わず2パック買いました。

 

そうすれば、また明日も頑張れる気がして。

 

そして今、その助六寿司をつまみながらこの記事を書き、あることを思い出しました。

 

「中学の時食ってた助六寿司って卵焼き入ってたわ」

 

いやぁ、思い出って美化されるものですね。

 

卵焼きのおかげで彩もあったし、優しい甘さだって卵焼きに由来するものだった気がしてきた。

 

なぁにが味で勝負だてやんでぃじゃ、助六って傾奇者だったはずだろバカヤロウコノヤロウ。

 

思い出とは違う助六寿司を冷蔵庫に眠らせ、明日また頑張れるのかを憂う月曜の深夜。

 

乱筆乱文とはまさにこのことである。